Laura

[論の現場](4)外国語で「日本」を語ろう(連載)

「日本にあこがれて留学してくるのは、アニメやマンガが好きな学生がほとんど」。立命館大学助教授のノア・マコーマックさんは、こう指摘する。「宮崎駿作品やマンガの最新情報には詳しくても、日本の論壇状況を留学前からよく知っている学生は少ない」
政治・経済の内政問題から国際関係まで、論壇・総合雑誌では多彩なテーマが扱われている。だが、その充実ぶりを海外に広く伝えるには、語学が壁となる。
マコーマックさんは、日本語の論文を英語に訳し、ネット上で公開する「ジャパンフォーカス」に参加している。父のオーストラリア国立大学名誉教授のガバン・マコーマックさんが、アメリカ・コーネル大学のマーク・セルデンさんらと始めた取り組みだ。
「良質の論文を広く伝えよう」と2年前に始まったもので、国内外の研究者らが協力。「予算はゼロ。翻訳もボランティアで、他からの影響を受けないよう、広告掲載も断っている」という。特に、海外の日本研究者には好評だ。
では、日本国内の取り組みはどうか。
「海外に向けて、自分で英語で思想を語ったと言えるのは、日本ではまだ新渡戸稲造(『武士道』)、岡倉天心(『茶の本』)、内村鑑三(『代表的日本人』)の3人しかいないのではないか。先進国の一員として、もっと日本を紹介していく必要がある」
こう語るのは「中央公論」の元編集長で、評論家の粕谷一希さん。今、ジャパンジャーナル社長として、「The Japan Journal」を発行している。
政治・経済から文化・芸能まで内容は幅広い。大使館関係者や知識人を中心に「海外での知名度は高まっている」という。
また、「中央公論」や「文芸春秋」など、日本の論壇・総合雑誌の中から優れた論文をピックアップし、外国語に翻訳して掲載しているのが、「Japan Echo」(ジャパンエコー社)。隔月の英語版に加え、年3回の中国語版「日本論壇」など、計5か国語で刊行されている。
「日本でどのような議論が話題になっているのか、時代を切り取って知らせたい。雑誌の発行は一つの文化貢献といえる」。原野城治社長は意欲を語る。
ネットで、そして活字媒体で。さまざまな形で日本の「論」を知らせる取り組みが広がることで、アニメやマンガばかりではない、多様で、多面的な日本の姿を知ってもらうことができるのではないだろうか。(泉田友紀)

 

Dallin

政治はなぜ嫌われるのか——民主主義の取り戻し方

まずはテストをしていただきたい。あなたは次の三つの言明をその通りだと思うか。
第一、政治家はいくら建前で公共を語っても、実際には自分の利益しか考えていない。第二、政治家は自分の狭い利益を追求することで、最終的には(企業などの)大きな利益にからめとられている。そして第三、政府はせっかくの税金を無駄に使っている。
もし、三つともイエスと答えたなら、あなたは現代の典型的な有権者である。いや、実際その通りではないかと怒らないでいただきたい。著者に言わせれば、現代世界の多くの民主主義国家の有権者が、同じように考えていることが問題なのである。
言い換えれば、このような意見は、各国ごとの政治の評価というより、世界共通の気分である。そして、この気分は1970年代以降に顕著になるが、この時期に一斉に政治家の資質が悪くなったとは考えにくい。だとすれば、むしろ人々の政治への見方が変わったのではないかと著者は考える。
変化の原因は何か。意外な真犯人として浮上するのが、政治学における公共選択論である。このモデルによれば、政治家や公務員は、他の個人と同様、費用と効果を計算し、自己利益を合理的に最大化しようとする存在である。
公共選択論は、市場化や民営化を推進する新自由主義とも相性がいい。結果として、学界のみならず、社会一般の考え方、そして政治家自身にも影響を及ぼすことになった。
が、問題なのは、この考え方が自己実現的であることだ。つまり、人々がそう思えば思うほど、実際になってしまう。政治はますます嫌われ、棄権者が増大するという悪循環となる。
政治を否定すれば、私たち自身の未来の選択能力を否定するばかりだ。今こそ悪循環を断つべきだという著者の考えは一考に値する。

 

Taylor

本音と建前」重要な役割

中国・瀋陽での亡命事件は、「人道的配慮」という国際社会の建前に沿うことで、最悪の事態が回避された。しかし、その裏で、今日、急増する難民受け入れを巡る“本音”の部分が見え隠れしているようである。
今回は人間関係における建前と本音について考えたい。建前は人々の合意によって決められた原則であり、本音は建前について各人が抱く考え方とされている。この二つの組み合わせには、少なくとも次の三つがあるようだ。
〈1〉本音と建前とが完全に食い違っている場合。(例)セールスマンが、気位の高い客に「ご予算の都合がおありでしょうから、決して無理にお勧めいたしません」と言う。しかし、このきれい事の裏に「このくらいの物に手が出せないと思われて、悔しくないんですか。さあ、買って下さいよ」といった本音が隠れている。相手にこちらの建前を本音と思い込ませるプロの巧妙なやり方である。
〈2〉本音と建前の間に本質的な矛盾がない場合。(例)妻は、本音では夫にできるだけ多額の収入をあげて欲しいのだが、「あんまり無理しないで」と、一見建前のブレーキをかける。妻のいたわりの言葉に励まされた夫は、一層遅くまで仕事に精を出すことになる。建前と本音は量的に使い分けられるが、その質と方向では一致している。
〈3〉本音と建前の間に明らかな矛盾がある場合。(例)表面では親はわが子に「お前の進路について一切、干渉しない。自分の好きなことをやりなさい」と、極めて物分かりのいいことを言う。しかし、受験や就職の時期を迎えると、親は自分の描いた青写真に従わせようと圧力をかける。そこで子供は親が本音(果たせぬ夢を子に託したい、など)を暴露したことを知り、反撃に転じることも少なくない。
最近、建前と本音の区別が分からないまま成人に達する人が増えている。この二つは相補的関係にあり、精神のバランスを維持するうえで大きな役割を演じていることを再確認していきたい。

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